ASDI STORY






戦艦長門への道

「深海に眠る戦艦長門」



 日本からはるか遠いビキニ環礁には、全長220mの【戦艦長門】や、全長280mのアメリカ【空母サラトガ】などが深海に静かに眠っている。そこではタイタニック以上の船体はもちろん、巨大なスクリューや砲台も見ることができる。

 それはまるで過去に起こった悲しい戦争の遺留品を残す、巨大な博物館と言って良いかもしれない・・・・・・。
はじまり
 戦艦長門をこの目で見たい!そんな思いを抱いた4人のダイバー達。しかし水深が50m前後と深い為、4人はまずテクニカルダイビングトレーニングを受けることを決め、行動を開始する。

 最終的にトレーナーとして私に依頼がきてから約1年。トレーニングも終了するころ、4人からは新たにビキニ環礁の同行も依頼され、私と4人の小さな物語が始まった。
2002年5月19日
 朝4時半、目覚ましが鳴る。寝過ごすのが恐くて3個の目覚ましをセットしていた。顔を洗い、寝る前に用意していた半ズボンとポロシャツに着替える。飛行機の中では寒いかもしれないが、荷物をできるだけ少なくしたかったので結局ジーンズはやめにした。



 今度帰ってくるのは2週間後だから、部屋の電気を入念にチェックする。重たいリュックを背負って部屋を出た。外はまだ薄暗い。車を走らせ店(ASDI)に着くと、すでにメンバーのAKIYAMAさんが来ていた。本人から電話で、先日から原因不明で顔が腫れていると聞いていたが、見ると想像以上に腫れていて痛々しい。ビキニに着くまで3日あるので、よくなる事を祈るばかりだ。


 AKIYAMAさんと残りのメンバー3人を車で拾い、成田に着いた。ゴールデンウィークが終わったばかりなのに、出発ロビーはやけに混んでいた。さらにテロ対策の影響で手荷物検査に時間がかかりそうだ。早めにチェックをすまして、各自で機内に集合する事にした。


 飛行機は予定通りに成田を離陸した。飛行機が高く上がるにつれて機内の気温が下がる。体に毛布をかけて約3時間、グアムに到着した。外に出ると強い陽射しと、熱い気温が体を包みこむ。ようやく着てきた半ズボンが気持よい。明日の朝、第2の中継点マジュロ行きの飛行機に乗るため、今日はグアムで1泊する。


5月20日
 20日早朝、重たい荷物を引きずりながらメンバー達が部屋から出てきた。今日はグアムからマジュロに向かう。ホテルから空港に着き、さっそく搭乗手続きを行なった。各自チケットをもらい搭乗口ゲートに向かったが、YAMADAさんのチケットが紛失してしまう!チケットがなければもちろん飛行機には乗れない。結局チケットを見つける事ができずに新たにチケットを購入することになった。
 無事?飛行機に乗り込んだメンバー達。目指すはマジュロだが、マジュロまでは途中4つの島に着陸する。フライト時間は約9時間もかかる。着陸する島々には飛行機から降りる事もできるが、手荷物は全て持って降りなければダメで、乗る時はまた厳しい手荷物検査を受ける!非常にめんどうだった。(もちろん降りなければよいのだが)。
 離陸して眠り始めると着陸で目がさめる。また離陸して眠り始めると着陸する。耳抜が大変なフライトで、ようやく飛行機は最終地マジュロに着陸した。現地時間は19時で虹のかかる空はほんのり赤くなり始めていた。いや〜やっと着いた!けれどまだビキニではない。
 ただでさえフライト時間が長かったのに入国審査は非常に時間がかかりイヤになる。なにせ無愛想な審査管が1人しか居ないみたいだ。審査がようやく終わり、飛行場からホテルに向かう時はもう暗くなっていた。ホテルに着き、みんなお腹が減っていたので近くのレストランで食事を取った。マジェロなのになぜか韓国料理だ。でも、なかなかおいしかった。ビキニに向かう飛行機はあさって出発する。明日は1日マジュロに滞在だ。



5月21日
 マジュロでの朝を迎えた。朝食を取りながら「今日1日どうしましょう?」と話しをしていたが、マジュロのきれいな海を目の前にしたら、答えは当然潜ることになった。沢山の荷物から必要な器材を取り出し、準備にかかる。
 船に乗り、1本目はマジュロ環礁の外海に潜った。ドロップ沿いにドリフトダイビングを満喫する。水温も高いし、透視度は非常に良く30m以上はあるだろう!ダイビング中はナポレオンも出て私達を充分に楽しませてくれた。2本目は続けて潜る予定だったが、船のエンジンの調子が悪いので1度港に戻る事になり、私達も1本でやめる事にした。
 夕方、今回ビキニで一緒になると聞いていた日本人のSUGETAさんがマジュロにやって来た。我々と違い、ハワイ経由で来たらしい。どおりで今まで会わなかったわけだ。夜はお世話になったマジュロのサービスの方も加わり、みんなで夕食を取り、ビキニでのダイビング話しで盛り上がった。
 ホテルに戻り、明日のための荷造りをする。ビキニ行きの飛行機はとても小さく、預ける荷物の重量制限が厳しいからだ。できるだけ機内に持ち込むリュックに詰め込む。荷造りをしながらメンバーみんなの気持が高まってきた。いよいよ明日はビキニ環礁である!良かったことにAKIYAMAさんの顔の腫れもだいぶひいて、調子が良いそうだ。荷造りが終わりベットに入り目を閉じた。部屋の中はクーラーがとても効いていて寒かったが、AKIYAMAさんもTADAさんも、気持良さそうに寝ていた。




5月22日
 いよいよビキニ環礁に着く日がやって来た!外はまだ暗く雨が降っている。さらに重みを増したリュックを背負ってホテルを出発した。飛行場に着いてチェックインをしたが、やはり荷物の重量オーバー料金を請求された。しばらく言葉が解らないふりをして超過料金を逃れようとしたが無理だった。出発予定時刻は早朝6時だったが飛行機の調子が悪いので2時間以上遅れるらしい。飛んでくれればラッキーと聞いていたので2時間くらいの遅れはしょうがないだろう。しばらくすると飛行場のレストランが開いたので、みんなで朝食をとった。これもなかなか美味しかった。
 2時間経ったが、まだ飛行機は飛ばない。雨も上がり、退屈なので各々飛行場の周りをブラブラし始める。海を眺めたり、飛行機を見たり、YAMADAさんはなぜか施設内でジョギングをしている。現地の人達がおかしそうにYAMADAさんを見ていた。

 さすがに待ちくたびれて今日飛行機が飛ぶのか?と不安になってくる。その時、搭乗待合場所が開いた。良かった!どうやら飛ぶみたいである。しばらく待合所で待っていると一機のプロペラ機がエンジンをかけて動き始めた。他に飛行機がなかったので不思議に思ったら、我々の乗る飛行機だった!「待ってくれ〜!!!」慌てて飛行機を止めてもらい、乗ることができた。乗れなかったら次のフライトまで1週間待たなければならない。あやうく「BIKINI環礁行けませんでしたの旅」で、1年かけた物語もここで終わっていた。



 飛行機に乗ると機内はせまく、満席でとても暑苦しい。離陸してしばらくすると白い煙が機内に流れはじめた。故障ではなくエアコンらしい(たぶん)。とても涼しくなってきたが、機内は白い煙でいっぱいだ。飛行機の窓から外を眺めると、綿のような小さい雲が所々浮び、青く広がる海には時おり珊瑚でできた環礁の島々が通りすぎていく。白と青で作り上げられた世界を飛行機はゆっくりと飛んでいく。



 飛行機が高度を落としはじめて、1つ目の環礁への着陸体制に入った。操縦席はオープンになっていて、前方を見る事ができる。飛行機はヤシの木を切り開いた空き地にまっすぐ向かっている。あそこに着陸するの?と思っていたら、飛行機はガタガタ音を立てながら空き地に着陸した。飛行機のプロペラが止まり降りて周りを見わたすと、空地の周りには小屋が数件建っているだけで、柵もなく飛行場と言うよりもただの広場だ。飛行機からはここで降りる人達の荷物が降ろされている。ここには電気や水道はあるのだろうか?もしも自分がここで生まれ、生活していたら、どんな人生になっていたんだろう・・・・。



 パイロットから乗るようにと言われ、飛行機は次の環礁へと再び大空に舞い上がった。しばらくすると次の着陸地点クワジェリンが見えてきた。クワジェリンには給油のために着陸する。グアムからマジュロに向かう途中も1度降りている場所だが、クワジェリンには軍施設があるので観光客などは島には滞在できないらしい。待合室では過去の戦争の写真が貼ってあり、色々と考えさせられてしまった。


 給油が終わり、いよいよ次は最終着陸地のBIKINIである!飛行機までメンバー達が手と足を大きく上げながら行進して行く。飛行機に乗ると乗客は我々だけになっていた。足を伸ばして少し眠ることにした。しばらくして飛行機が少し揺れて目が覚めた。窓から外を覗き込むと、小さい環礁が見えてきた。飛行機が高度を落としていく。とうとうBIKINIである!飛行機は空き地に着陸し、窓から外を見ると数人の人達がこっちを見ている。われわれと入れ替えで帰る人達だろう。飛行機が止まり、腕時計に目を向けた。5月22日12時7分(現地時間)、我々はようやくBIKINIに着いたのである!
 メンバーは飛行機から降りてBIKINIの地を踏んだ。ここを目指してトレーニングに1年間・・・今、ここを目指した4人の前に看板が立っている。【ようこそBIKINIへ!】




 出迎えてくれた現地のサービスの人と軽く挨拶を交わし、軍用みたいなオールステンレス製?のボートで飛行場からサービスまで移動した。ボートはバスクリンのような海の上を気持良くブッ飛んでいく!しばらくするとスピードが落ちはじめ波止場が見えてきた。少し大きめの船が停泊している。たぶんあれがダイビングで使う船だろう。
 

 波止場から車に乗り換えて3分程でサービスに着いた。予定では着いた日に1ダイブすることになっていたが、飛行機が遅れたので明日から潜る事になった。残念がるメンバーは一人もいなかった。ここまで来たのだからあせる事はない、長門はすぐそこに沈んでいる。サービスに着くと部屋に案内された。部屋は砂浜に隣接していて、ドアを空けると目の前に海が広がっている。今日から1週間ここが自分の寝床となる。
 少し休んでから、明日から使う器材のチェックと、割り当てられたダブルタンクに、自分の名前を書き込んだ。その後はサービスのはからいで、ビキニ環礁の観光となった。観光と言っても空と海と砂浜しかない。それでも砂浜にはウミガメが卵を産みに来た足跡があったり、環礁の外と内側との海の境を見たりして楽しかった。しかし人や文明の気配がまったく感じられない!今、この環礁に居るのはサービスで働く人達と我々だけである。文明社会とのつながりは1週間に1度の飛行機だけ。テレビも電話も無いのだ!帰りの車の中でメンバーの1人が「コンビニないかしら?」もちろんあるわけがない。
 夕食後、明日のために皆でダイビング コンピューターの設定を練習した。その後は、しばらく雑談も続いたが、長旅の疲れと、明日からのダイビングのため、「お休みなさい!」と声を交わして解散した。

 部屋に向かいながら空を見上げる・・・・・星が空を埋め尽くし、耳からは静かな波の音が聞こえ、そしてとてもやさしい風が吹いていた。



5月23日
 朝、ミーティングルームに集合する。これから行なうダイビングの基本的なダイビングルールが説明された。これから見ることのできる各沈船(戦艦)は、いずれも水深50m前後に沈んでいるので、ダイビングは全て減圧を行なう事が前提となる。すなわち一般的なレジャーダイビングのルールを越えるものとなる。そのため1日2ダイブに限られ、インターバルは4時間以上とるように説明される。そのほか減圧ガスは約ナイトロックス75%前後を使用、9m、6m、3mに減圧バーが設置してあるので、各ダイバーは船から下ろされたレギュレーターで減圧をする。ビキニルールでは減圧が終了し、ダイコンが浮上OKサインを指示しても、残留窒素の値が一定のラインまで下がるまで、減圧を継続しなければならない。もちろん全てが減圧症に対する安全を配慮してのルールだ。年配者の多いメンバーなので、私も安心した。
 ブリーフィングが終わりいよいよビキニでのダイビングが始まる。今日はチェックダイビングをかねるので、1本目の最大水深は30m、2本目の最大水深は40mでいずれも【空母サラトガ】の上部を潜る事になった。波止場に着くと、各自のダブルタンクがすでに船の上に置かれていた。乗船して各自セッティングを開始する。

 波止場からロープが外されボートはゆっくりと走り出した。海はとても穏やかで我々を順調にポイントまで運んでくれる。しばらくするとポイントのブイが見えて来た。さっそくダブルタンクを背負ってエントリーする。戦艦まではまっすぐラインが張られ、流れも無いので非常に楽に潜行できる。潜降するとすぐに空母の指令棟にたどり着き、下を見下ろすと甲板が広がっている。とにかく巨大すぎて船と言うよりも・・・・何だろう?。ダイビング中は砲台を見たり操舵室や、戦闘機の残っている格納庫も見せてもらえる。透視度は20m位で残念ながら想像した程良くはないが、これでも普段より良いらしい。潜水時間はいずれも40分位で、30分前後の減圧を行なって浮上する。
 来る前にメンバーが色々と心配していた、ボートからのエントリー&エキジットも楽だし、潜水中も流れはなく、体力を使う事もない。また波がほとんど無く、水温も高いので、減圧も楽である。また潜水後のインターバルも長いので、非常にゆったりしたダイビングだ。ビキニで初のダイビングは、心配をよそに楽しく終了した。正直言ってこれなら、自分が居なくてもメンバー達は充分楽しめたかもしれない。サービスに戻り、眠るまで各々時間を過ごす。本よ読んだリ仮眠したり。私は夕食後、浜辺を散歩しながら、沈む夕日を楽しむ事にした。


5月24日
 今日の1ダイブ目は戦艦長門だ!いよいよ我々はこの日を迎えた。エベレスト登頂を目指した登山家が、山頂を直前にした時の心境と同じだろうか?いや、それほど大げさなものではないだろう。それでも長門に向かう船の上で、皆どんな思いでいるのかと考えていた。船がポイントに着いた!この下に戦艦長門が眠っている。さっそくダブルタンクを背負ってエントリーする。潜降ロープに向かって行くとサメが一匹現れ、かなり近くまで寄ってくる。戦艦長門の門番なのか?日本から来た私達を歓迎してくれるのか?しかし今はサメよりも長門である。何も見えない海の底に潜降していくと、しだいにぼんやりと巨大な影が見えてきた。やがてそれが船底だと解る。残念ながら長門はひっくり返っているのだ。そのまましばらく船の側面を見ながら潜降を続け、水深50mの海底に着地する。見上げると他のメンバー達も次々と舞い降りて来る。全員が海底にたどり着き、我々は計画通り船尾へ向かってゆっくりと移動を開始した。
 しばらくすると船体と海底の隙間から45口径の大砲が現れた。メンバーが見たかった戦艦長門の主砲である。写真を撮ったり、触ってみたり、覗いてみたりと、メンバーのパフォーマンスは各々である。それからさらに移動して船尾にたどり着いた。見上げると巨大な羽が二枚そそり立っている。長門の舵である。ここから船底沿いに上がって行くと巨大なスクリューが現れるはずだ!これから見える瞬間を楽しみながら、ゆっくりと上がって行く・・・・巨大スクリューが現れた!期待を裏切らなかった大きさに感謝した。さらにメンバーのAKIYAMAさんがスクリューに近づく。巨大さがより浮き出した。
 戦艦長門をこの目で・・・思いを抱いてから1年以上が過ぎ、様々なハードルを越えてきたメンバー達が今、戦艦長門を目の前で見ている。我々が今ここにいる事が、なぜか不思議に感じていた。気がつくと、予定浮上開始時間まであと数分しかない。残念だがロープに戻り、浮上を開始する。浮上するにつれて長門の姿は再び海の中に消えて行った。
 各々減圧地点までたどり着き減圧を開始する。長い減圧中、言葉を交わす事は出来ないが、仮に話しが出来たとしても、今の思いは簡単に言葉では表せないだろう。



 無事に長門をこの目で見ることが出来たメンバー達だが、ビキニ環礁でのダイビングはまだまだ続く。今日の2ダイブ目はラムソンと言う駆逐艦だ。今まで見てきた巨大な戦艦に比べると迫力は劣るかもしれないが、魚雷や機銃が原型をとどめていて十分に楽しませてくれた。



5月25日
 ビキニ環礁に着いてから4日目、今日の1ダイブ目はアーカンサスに潜る。私達が長門を見たくて来たように、アメリカ人にとってアーカンサスは日本の代表する戦艦大和みたいなものらしい。実際、アメリカの代表する戦艦だけあって、迫力は長門に負けないものがあった。

 2ダイブ目は再び空母サラトガに潜る。3回目のサラトガだか、とにかく巨大なので数回潜っても全を見ることができない。ちなみに今回はサラトガの甲板から海底まで降りて、サラトガの船首を回り、海底に沈んでいる戦闘機を見る計画だ。甲板から水底までは約20mも深度差があり、甲板から一気に海底まで飛び降りる時はとても気持が良い。さらに錨の鎖と、海底から見上げる船首は空母サラトガの巨大さを物語ってくれた。

 4日目のダイビングも無事に終わったが、毎日沈船ダイビングは少しあきるかも?夕食までのアフターは、いつものように浜辺を散歩したり、泳いだりして各々時間を過ごす。今日は日が沈みはじめ、空を見上げると満月が上がっていた。

 「今夜は皆で月を見に行こう!」夕食後、チーフインストラクターのティムとアシスタントのマイケルが私達を誘ってくれた。車に乗り5分くらい走ったところには、最高のステージがが広がっていた。太平洋に浮かぶ小さな島で、観客は私達だけの貸切りである。皆で浜辺に寝転んで、月と星と雲と海が作り上げる自然のショーを満喫した。私は月明かりの海の上で、流れる雲を見ているうちに、日本が遠くに感じていた。
 



5月26日
 今日は朝早く目が覚めたので浜辺を散歩していた。風もなく晴天で、海況は今日も良さそうだ。

 今日の1本目はアンダーソンに潜る。対潜水艦タイプの中型くらいの戦艦だ。いつものようにロープ沿いに約水深50mまで潜降していく。戦艦にたどり着くと各々戦艦を観賞する。しばらくして現地スタッフのエドワードが「着いて来い」と言うので一緒に戦艦の中に入った。実はケーブのライセンスを持っている私だけ、いままでも何度か戦艦の中に、入れてもらっていた。船室に入ると、沈泥の中に手を入れて何かを取り出している、お皿だ!お皿には錨のマークが書いてあり、持って帰ればすばらしい記念品になるだろうが、もちろんダメである。残念だがお皿を置いて浮上を開始した。

 減圧中にゲームが始まった。現地のスタッフ達がリールを外してAKIYAMAさんに気づかれないように引っ掛けている。自分もゲームに参加した。結局AKIYAMAさんは気がつかず、船に上った時は皆のリールだらけになっていた。

 2本目は4回目の空母サラトガである。今回は格納庫の中に入る。格納庫の中は広く、出口も大きいので、特別なライセンスは必要ない。中には戦闘機や爆弾や今もまだ点く電球などが眠っているが、爆弾にはもちろん手を触れてはいけない。暗い部屋の中で爆弾が眠っていることから通称「お化け屋敷」と現地のスタッフは呼んでいた。

 減圧も予定通りに終了してサービスに戻る途中、YAMADAさんが「体がだるい」と言ってきた。減圧はプラン通りに行なっていたが、連日深く潜っているので心配である。現地のチーフインストラクターのティムに相談して様子を見ていたが、体調が改善されないので無線で医療施設のあるクワジェリンに連絡を取り、専門医の指示で翌朝チャーター機でクワジェリンまでYAMADAさんを運ぶことになった。




5月27日
 朝から飛行機が来るのを待っていたが、昼頃ようやく飛行機が飛んできた。ダイビングの日程はまだ残っていたので、他のメンバーを残して、自分がYAMADAさんに付き添ってクワジェリンまで行くことにした。飛行機に乗るとSHIGEKOさんと言う一人の日本人が乗っていた。クワジェリンにただ一人在住する日本人で、今回ボランティアでわざわざ来てくれたのだ。
 クワジェリンに着きYAMADAさんを病院に連れて行く。医者の話だと減圧違反をしたわけではないので、再圧室で治療を受ければ心配はないらしい。しかし退院は明後日なので、自分もここに滞在する事になった。SHIGEKOさんの手配で宿泊先と自転車を手配してもらい、滞在する為のIDカードを役所で作成してもらう。

 クワジェリン島には軍関係者や、ロケットや衛星を開発している企業、それに科学者達以外は滞在することが出来ないらしい。すなわち国家機密にかんする実験島らしい。スパイに思われないように気を付けよう。



5月28日
 朝、今日もYAMADAさんを再圧する場所までつれて行く。再圧室は病院には無くクワジェリンで研究をしている企業の潜水チームが所有している。潜水チームの倉庫には再圧室はもちろんだが色々な潜水器具が並んでいて、興味をそそる。そんな私に潜水チームのリーダーが親切に器具の説明を色々してくれた。



 再圧治療が終わり、すっかり元気になったYAMADAさん。今度は病院でやる事がないのでつまらなそうだ。病院の周りを歩いたり、看護婦さんと話をして時間を潰している。そんなYAMADAさんが現地の新聞社からインタビューを受ける事になった。こちらでもビキニ環礁のダイビングは珍しいらしい。



5月29日
 朝、病院のYAMADAさんを見舞った後、SHIGEKOさんが家に招待してくれた。海に面しているとてもカワイイ家だ。昼食をご馳走になり、自転車で島を案内してくれた。

 島には各企業の社宅が建っている。どれもが個性的で、まるでディズニーランドみたいだ。達道ですれ違う人は皆SHIGEKOさんに声をかけてくる。

 夕方になると仕事が終わった人達がボートに乗ったり、ダイビングしたり、ビーチでバーベキューをして楽しんでいた。う〜ん素晴らしい環境だ!



5月30日
 早朝、予定通りにYAMADAさんが元気に病院から退院した。しかし2日間は飛行機に乗らないようにと医者から言われているので、YAMADAさんをSHIGEKOさんにお願いして、自分だけ他のメンバーと合流する事になった。お世話になった潜水チームの人達に挨拶をしに行くと、チーフが「見せたいものがある」と、特殊な潜水遠隔装置の有る場所に案内してくれた。チーフ自慢の潜水装置らしい。出発まで時間ないけど親切は断れない。
 説明を聞き終わった頃には飛行機の出発まで時間がなく、あわてて自転車で飛行場に向かった。飛行場にはYAMADAさんとSHIGEKOさんが見送りに来ていた。二人に手を振りクワジェリンを後にする。機内には予定通り他のメンバー達が乗っていた。YAMADAさんの元気な話をしてあげると皆よろこんでいた。

 長いフライトを終えて飛行機はグアムに着陸した。ホテルに着いてから夕食のために外に出ると、沢山の人が行き交い、道には車が走り、ネオンで輝く建物が立ち並ぶ。しばらく何も無いところに居た自分にとって、それはとても都会に感じ、なぜか息苦しい。今日はグアムに1泊して明日は日本に帰る。


5月31日
 日本に帰る日が来た。昼過ぎに最後の荷造りをして飛行場に向かう。夕方に予定通りグアムを飛び立った飛行機は夜8時頃に成田に着陸した。荷物を受け取り、車を止めているいる駐車場に向かう。2週間振りの自分の車はホコリだらけになっていた。

 帰る方向が違うAKIYAMAさんとはここで別れる。最後にYAMADAさんの姿は無いが解散前に写真を撮った。
 荷物を車に乗せて「それじゃ!」と手を振りAKIYAMAさんが帰って行った。残るメンバーも車に乗りこむ。高速道路を走り、しばらくするとレインボーブリッジが見えてきた。海外からの帰り、橋の上から東京の夜景を見ると帰って来た気がする。

 高速を降りて、TADAさんとREIKOさんを無事に家まで送り届け、自分も2週間振りに家に帰った。部屋の電気を点けるとベットの横には3個の目覚まし時計が並んでいた。3日後・・・・・YAMADAさんが元気に帰国し、長門への道は終了した。
 

 最後まで読んで下さってありがとうございました。ご覧の様に『深海に沈む巨大戦艦長門をこの目に!』の幕は閉じました。私をトレーナーとしてメンバーからお話しがあった時には、計画の内容に私自身の準備や時間、メンバーの年齢など、色々な面で依頼を受けるかどうか悩みましたが、4人の強い情熱が私を動かしました。

 帰国後メンバー4人の胸の中には各々新たに感じるものが生まれているようです。私も今回のプロジェクトを通じて見てきたメンバーの姿や様々な人達との出会、さらにご紹介できない程の出来事を経験できたことは、私にとって大切なものとなり、メンバーの中心的な存在でもあったAKIYAMA氏とTADA氏にはあらためて感謝しています。最後に目的を達成できたのは様々な方々の助けと協力があってのことで、関係された皆さんにお礼申しあげます。
【SUGIMOTO】

日本でのトレーニング中は
彼のサポートのおかげで
とても助かりました。
左から

【PAPA】
【JR】
DARWIN】
ROGER】
DOMINGO】
セブのでトレーニングで
全面的なバックアップを
請け負ってくれた
メンバーです。
【TIM】

BIKINI環礁のチーフです。
とてもまじめな方で
親切に我々に接してくれました。
【MICHAEL】

BIKINI環礁のスタッフです。
体が大きく無口で
一見恐そうですが
実はユーモラスで
やさしい人です。
【EDWARD】

BIKINI環礁のスタッフです。
スタッフの中で唯一の地元でもあり
いつも笑顔で
皆を楽しくさせてくれました。
クワジェリンの潜水チームの
方々です。

日本人の私達に色々と
気を使ってくれました。
【SHIGEKO】

クワジェリンで大変お世話になった
方です。
彼女のおかげで
どれだけ助かったことでしょう。
その他、今回のプロジェクトに関わったみなさんにお礼申し上げます。
2002年6月 TAKA


1年半が過ぎて・・・・・・
 ビキニ環礁での出来事が私の中で思い出になって行くころ、
もと戦艦長門の船員の方とお会いすることができました。
(写真:中島茂松さん88歳 1936年〜1938年に戦艦長門 17分隊 機関兵として配属)

私はビキニ環礁に沈んでいる戦艦長門のことを話し
船を見て来たことを伝えました。


中島さんは戦争時代の長門のことを語ってくれました。
私は話を聞きながら、戦艦長門への思いと船員であった誇り


中島さんにとって戦争と戦艦長門は
66年経った今も生き続けていることを感じました。