1999年2月10日、久米島の海で水深34mの場所に氷河期に形成されたと推測される海底鍾乳洞が発見されます。
発見者は地元のダイビングインストラクター:友寄秀光。この海底洞窟は発見者の名前をとって、【ヒデンチガマ】(ひでさんの洞窟)と命名されました。
2001年1月、そのヒデンチガマの洞窟測量をメインとした調査に呼ばれます。
現地に着くと全国から集まったダイバー達がいました。
チーム編成が行われ、夜はミーティングが続きます。
翌朝、私のチームを乗せた船が出港しました。
潜水までに器材を入念にチェックします。
ポイントに着き、潜水が開始され、水中洞窟に興味のない私は、淡々と水中の崖を潜降していきました。
水深34mに到達、目の前に現れた穴はあまりにも小さく、見た瞬間、とつぜん血液が興奮したのを今でも忘れません。
「入口は小さいから!」と言われていたが、これほど小さい穴の中に、洞窟があるなんて・・・・
まず頭を穴に入れ、お腹と背中のタンクをすりながら、ゴリゴリと少しずつ進みます。前方を見たくて顔を上げると、背中のタンクが天井にひっかかり、前に進めませんでした。
下を見ながら5〜6mほど進むと、ひっかかりはなくなり、顔を上げ、ライトを向けた先には見たことのない水中洞窟の世界が奥に向って続いていました。
時が止まり、光のない世界を感じました。
帰る時、自分の世界と繋がる、入口の美しさに驚きました。
減圧を終えて浮上し、決心します。洞窟潜水の訓練を受けようと。
1年後の2月、訓練を受ける為に、1人アメリカに向います。
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【フロリダの水中洞窟の入口にある看板】
「貴方が死なない為に、ここから先に行ってはいけない」
西暦2001年の冬、沖縄の久米島沖で発見された海底洞窟「ヒデンチガマ」と初めて出会った私は心を動かされ、1年後にケーブダイビングの技術と、そして洞窟潜水の経験を積むことを目的に、1人でアメリカ フロリダ州にあるレイクシティと言う場所に向った。
アメリカで飛行機を乗り継ぎ、日本を出てから23時間後にフロリダにあるジャクソンビル空港に到着。ここから車で2時間かけ、ようやくレイクシティ郊外にある滞在先のモーテルに着いた。
さすがに疲れた。荷物を広げ、シャワーを浴び、寝た。
私が着いた場所には見渡す限りビルは無く、隣接する家もない。とてものどかな風景の下には数多くの水脈=水中ケーブが多数存在している。
ケーブダイビングでは過去に多くの命が奪われていた。ここフロリダでも第二次大戦後、スキューバーダイビング人口が増えることに比例して事故も増え、フロリダだけでも水中洞窟で300人以上のダイバーが命を落としたと私は聞いていた。
命を落とす主な原因は洞窟の迷路に入り込み、迷い、出口にたどり着けずに呼吸ガスが無くなる。また、岩などに器材が当たり、呼吸器材が壊れたりするケースなど、ケーブの中では罠の様な様々な危険が待っているからだ。
日本ならすぐに穴の入口を塞いでしまうだろ。
アメリカでは訓練を受け、ケーブダイバーとしての規準を満たした者には水中洞窟に潜水する為のライセンス証が発行されていた。
訓練は大変だったが、とにかく景色が美しかった。美しい森や公園の中を進むと、とても透き通った川や湖が現れる。その美しい水を見ていると、ダイバーなら誰でも潜ってみたくなるだろう。
潜って水中に穴があれば、覗いて見たくなる。覗いて見て、美しい水が穴の奥へと続いていれば、ついつい穴の中に入って、奥の世界を見たくなるのが人間の心理である。
そして、過去に帰って来なかったダイバーが数多くいたことも、ここに来て、とても理解できた。
フロリダの教官はラマーハリスと言う方が私の教官だった。ヒゲを生し、日本人から見ればチョット小太り気味ながっしりとした体格。訓練は私とラマーの2人だけで進められた。
はじめは慣れない英語と環境、そして訓練への緊張感が頭に重くのしかかっていた。しかし、日が経つにつれ、次第に体も慣れ、訓練のコツもつかんで来ると、少し余裕が出始め、楽しさを感じている自分がいた。
トレーニング開始から5日目、ケーブの恐怖が待っていた・・・・・・・。
デコボコ道をジープに乗せられ、昨日潜った場所にやって来た。ここは、今までの美しい風景とは違い、ボウフラが沸いている様な汚い池が、ケーブの入口となっている。
ケーブの入口は比較的広いが、穴はしだいにせまくなり、所々体をこすりながらでないと進めなくなる。このためイヤでもシルト(泥)が舞い上がり、時々視界がなくなる。穴はどこまで進んでも汚く、まるでエイリアンの住家に進入して行くみたいだった。
まだ調査中らしく、このケーブの中に張ってあるラインは細く、帰る方向を示す印(アロー)も付いていなかった。そのため、いくつも枝分かれしているラインを進で行くと、自分の方向感覚と帰るルートの記憶が乱される洞窟だった。
ジープから器材を取り出し、さっそくラマーと2人で潜水を開始した。
予定では昨日と同じルートを進むはずだったが、穴はどんどんせまくなり、水深も深くなってくる。
昨日と違うルート?だ・・・・おかしい?と思い始めた。
すでに吸っているガス(ナイトロックス)の限界水深も超えはじめ、残りのガスも引き返す量に近づいている。
そして、先に行くラマーの動きに落ち付きがない。
これ以上、奥に進入することに危険を感じた。
さらにまた穴がいくつかに分かれる。
ラマーが「待ってろ!」とサインを出して、右と左の穴を確認して引き返してきた。「解らない、帰ろう!」ラマーがあせった様子でサインを出す。
やはりラマーはルートをミスしていた。
ケーブダイビングのルールでは、帰りは自分が先頭になる。残りのガスも、あまり余裕がない。
「落ちつけ」と自分に言い聞かせながら、自分の記憶を頼りに、慎重にラインを選びながら出口を目指す。
しばらくすると、あせったラマーがフィンで泥をかき上げながら、自分を追い抜かして行った。
緊張が高まった。
自分も必至になってラマーに付いて行く。するとラインが枝分かれし、前方に2つの穴が見えた。
自分の記憶では左が出口に向かうはずの穴だった、しかし前方を行くラマーは右の穴に消えて行ってしまった・・・・・
突然に、恐怖が体を包んだ。
自分を信じて左に行くべきか?ラマーを追って右に行くべきか?・・・・右の穴を選んだ。
進入して行くと、先に行ったラマーの姿はもう見えない。
穴は極端にせまくなった。
天井と床と左右、岩と体の隙間はなくなり、先に行ったラマーの後なので、イヤでも泥が舞い上がっている。
視界不良を覚悟で進む。
すぐになにも見えなくなった。
完全に視界不良だ。
進むと何度も頭をぶつけ、体が岩に挟まった。
それでも体をこじらせながら、体を岩からはずし、隙間を必至で進む。
もし、これが出口に向かってなかったら?
今からでも一人引き返し、左の穴に進むべきでは?
何度も考えた。
心の中で迷いながらも進む。
しばらくして呼吸ガスの残圧計をマスク(水中メガネ)に押し当て、ガスの量を確認した。
引き返して、やりなおすだけのガスはもう無くなっていた。
自分に選択できるものは何も無くなってしまった。
進むしかない。
何も見えず、何度もぶつかる。
思う様に進めず、あせるほどガスが確実に減っていく。
何も見えない泥の中、ラインは出口に向かっているのか?
どれくらい先か?
ガスは足りるのか?
死を考えた。
指に触れているライン、この細いヒモが自分の命を左右していると思った時、悲しさが込み上げ、泣きたくなってきた。
フロリダに訓練を受けに来たことを後悔した。
こんな汚い穴で死ぬのがイヤだった。
もし助かったら?
訓練なんてやめて、日本に帰ろう。
暗闇と悲しみの中、どれくらいの時間が経ったのだろう。
しばらくすると、岩に当たらず、うっすらと透視度も良くなってきた。
遠くにライトの明かりが見える、ラマーだ!
ライトでお互いにOKサインを出し、ラインの先に向かって行く。進むほど深度も浅くなり、穴はさらに広がっていく・・・・・
光が見えた!
出口だ、助かったのだ。
出口に置いていた、潜水減圧用の酸素ガスをくわえ、静かに呼吸した。
頭の中は真っ白だった・・・・
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宿に戻り、訓練を続けられるか?
この恐怖に勝てるか?不安だった。
この旅に持ちこんだ音楽を聞きながら、ベットに入り寝た。
翌朝、朝食を終えて迎えの車に乗り込み、再び水中洞窟に向う。
洞窟に侵入しても落ちついて訓練をこなす事ができた。
それから数日・・・・・全ての訓練と課題を終え、私は日本に帰った。
後日、アメリカからライセンス証が届き、私はこれから5年、ヒデンチガマの測量に情熱を燃やした。